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メガトンクラブ出演者追加情報!!

12月4日(土)メガトンクラブ出演者追加情報!!

満園庄太郎

出原卓

参加決定ですsign03

最新情報は、MITSUO TAKEUCHI official web site にて
http://www.mitsuotakeuchi.com/

11/06(土) 「S.M.S Gospel Choir Tokyo 3rd Live」

ライブ情報をもうひとつ追加しました。

こちらは、5月にも参加させていただいた、
ゴスペルのライブですsign03 shine


S.M.S Gospel Choir Tokyo 3rd Live
テーマは「ワール・ドビート」!
アフリカンやレゲエ、ニューオリンズ セカンドライン、
世界のビートに乗せたゴスペルをお楽しみください!


(詳細は、コチラからどうぞ

12/04(土) MEGATON CLUB 情報!!

タイトルは、『Monsters of Megaton Rock』rockthunder

竹内さんのHPで、出演者 情報がアップされましたsign03

僕のブログページでも、随時 情報を更新していきますね。happy01

コチラからどうぞ

「MASAKI NIGHT vol.17」大盛況☆

昨日 9月19日の「MASAKI NIGHT vol.17」sign03

大盛況でした。happy01
次への企画アイディアも舞台上で飛び出したり、
リハ&ライブ本番から、終演後の打ち上げまで、
とても良い雰囲気の中で、楽しい時を過ごすことができました。happy02

主催者 MASAKI、共演の NoBさん、白田さん、Joeくん、
会場スタッフおよび関係者の皆さん、
そして、ご来場くださった、ファンの皆さんと
共に楽しんだライブに感謝です。shine


【追伸 pencil

僕の誕生日が9月11日だったので、
たくさんの方から、プレゼントpresentをいただきました。

本当にありがとうございましたーshinehappy01


Img_0194今回の清水 賢治 キーボード・セッティング。

今回から導入の ROLAND V-COMBO VR-700 を中心に、
シンセ音色を、MacBook の MainStage で補い、
ピアノ系は、会場:吉祥寺シルバーエレファントさんの
YAMAHA CP50 をお借りしました。

第1部 開演直前の楽屋ショット
Img_0195

第2部 開演直前の楽屋ショット
Img_0201

昨日は MASAKI Night リハ

いよいよ明日は MASAKI Nightsign03

インストも歌モノも有り、楽しみも倍増scissors

チケットも1部、2部ともにソールドアウトだそうです。happy01

俺自身も、とても楽しみにしつつ、明日を迎えたいと思います。rockshine

画像は、昨日 Twitter にもアップした、
リハ後の食事会にて。激盛り状態のナムルもやしです。coldsweats01

20100917

箸を伸ばしているのは、MASAKI の右手。
チェックのシャツは、白田さんの左手でーす。

(リハのスタジオで写真を撮るの、すっかり忘れてました。bearing

昨日は仙台にて

20100912_120100912_2

竹内さん、恩田さん、大山さん、KIYOSHIさんと、
仙台にて、体験レッスン&講師演奏してきました。happy01

その後、新幹線までの時間で、寿司屋にて旨いもん食べて、
日本酒 飲みました。

fish bottle fish bottle fish bottle fish bottle fish bottle fish bottle

出発の時間が近づき、
お土産屋で、各々 牛タンやら笹かまやら、お菓子を買い求め、
俺は、駅売店で『ずんだあいす まんじゅう』買って食べました。
酒飲んだ後のアイスは、やっぱりうまいsign01

20100912_3

最近、ずんだ豆のスイーツにハマってますね。coldsweats01

深謝

僕の母の永眠について、ブログや mixi に、
コメントやメール、メッセージにて、
たくさんのご厚情を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。

本来なら、頂戴した ひとつひとつのお言葉に
お返事差し上げるべきところなのですが、
こちらの書き込みにて、略儀ながら御礼申し上げます。

本当にありがとうございます。


こういった場で、お知らせさせていただくことで、
僕自身の気持ちの整理も前に進むことができたと思います。

家族だけの通夜と、母の兄弟を含めた親類による告別式では、
香川県 生まれの父の生い立ちから、大阪に出てくるまでの話を、
母の兄からは、大分県 出身の母方の一家が大阪に出て来る話を聞くことができ、
生前の母から聞いていた、父と母の出会いのエピソードに繋がりました。

自分自身や、妹が、この世に生を受けた経緯を母の死を通してあらためて認識することができ、
紡ぎあう生命に対する敬愛の念を深めることができました。


家族の中では、僕よりも、常に母の世話をしていた妹の心労を心配しておりましたが、
諸々の手続きなどを気丈にこなしてくれておりますし、
妹自身の今後の人生についても、本人の気持ちが落ち着くごとに少しずつ前に進み、
そこにも、きっと 母の加護があることと思います。


これから、より一層、家族との絆を深め、
僕自身も、日々 頑張っていきます!!

昨日、母が他界しました。

昨日の朝、実家の妹から「母が危険な状態」との連絡を受け、
大阪へ帰ってきました。

とても私的な内容なので、こういった形でお知らせしていいものかどうか迷いましたが、
僕が音楽の道を志すと決めてから、ずっと 応援してくれて、
そして息子の活動を知るごとに一喜一憂してくれていた、そんな母でしたので、
長文となりますが、ここに書かせていただきます。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 

母 節子 昭和21年1月29日 生まれ(享年 64歳)

女学生の頃は、合唱と英語が好きだったらしい。

寿司を配達に来た、板前の父 明治(アケハル)と交際、結婚。

最初の子供(男の子)は、死産だったそうである。

そして、母 節子が22歳の時に、俺を生んでくれた。

その4年後に妹 恵美が生まれる。

賢治 高校卒業後に上京。母は懸命に働き、
仕送りを続けてくれた。
その時に無理をしすぎたことが、後のリウマチの原因となる。

徐々にリウマチが悪化し、指や膝、踵などの骨が変形し、
家事ができなくなる。そんな母に妹が付きっきりで介護を続ける。

リウマチの薬の影響もあり、母の免疫力は低下し、
いろんな病気に掛かりやすい状態で、入退院を繰り返していた。

この夏も、心臓と肺が弱り、入院していた。

2010年9月2日(木)
夜 21時の少し前 賢治が講師を務める専門学校での授業を終え、携帯をチェックしたところ、
妹からの留守電メッセージが入っていた。
「母が危険な状態で、医師から家族に連絡をするように言われた」とのこと。

その時、すでに大阪へ向かう新幹線の終電には間に合わない時間だったので、
考えた末、夜行バスで帰ることを思いつき、新宿に向かうが、
その途中、妹とのやり取りで、母の容態が落ち着いてきたので、
いまは帰ってこなくても大丈夫ということになった、

そして、9月5日(日)
朝 7:06 妹から、再度 電話があり、また母が危険な状態で、
家族に連絡を取るように言われたとのこと。

その日は、直前の6時頃から眠りについたところだったので、
電話を受けた時は、寝ぼけていたが、
電話を切った後に、徐々に意識がハッキリする中で、
即刻 帰らなければいけないと思い、
身仕度を整え、新幹線で大阪へ向かう。

病院に着いたのが、12:30頃。
従姉も来てくれた。母の姉の娘で、長男長女の2人兄妹。
幼い頃からウチと2家族 一緒に食事をすることなどが多かった。
その従姉の母(うちの母からみれば姉)は、今年2月に亡くなっている。
母の兄弟は多いが(4男3女)、その従姉の母とうちの母は、特に仲が良かった。
母方の祖母は、96歳で健在である。

父は、5日の朝、病院に来たらしいが、
洗濯などの為にいったん帰宅し、また戻ってくると言っていたらしいが、
看護婦の方からも、父に早く来てもらうように言われ、
何度も携帯に電話を掛けたが、電源が入っていないようである。

父との連絡がつかない状態で、当直の先生に
呼びにいった方がよいか尋ねたところ、
「数分単位で状況が変化していますので、この場を離れない方が良いと思います。」とのこと。

そして、妹が酸素マスクをして、意識が朦朧としている状態の母の耳元で懸命に呼びかける中、
心拍数を表す機器の数値が『0』を表示した。

「脈もありませんし、瞳孔の反応もありません。14時27分 ご臨終です。」

当直医の先生の口から母の『死』が告げられた。

その数分後に、従姉が旦那さんと連絡を取り、
車で父を迎えに行ってくれた。

病室に入ってきて、母を見る父。
日頃、あまり感情の起伏を表さない父の、
これまで見た中で、一番 悲しそうな表情を見た。

亡くなった直後から、葬儀屋の方との連絡や、
親戚(母の兄弟)への連絡などでバタバタする。
今年2月に伯母が亡くなった時に、諸々の手続きなどを執り行った従姉は、
テキパキといろいろ助けてくれた。

明日、告別式など、お別れの儀式を執り行い、
夜には東京に戻ります。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 

冒頭にも書きましたが、
僕が音楽の道を志すと決めてから、ずっと 応援してくれて、
そして息子の活動を知るごとに一喜一憂してくれていた、そんな母でした。

生きているうちは、なんの恩返しもできませんでしたが、
これからの音楽活動、そして若き世代に音楽の素晴らしさを伝えていくことで、
母も喜んでくれると信じ、日々を大切に生きていきます。

おかん、ありがとう

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